かざいむ日誌

IT関係で知ったことなどを記事としてあげていきます。内容に不備や質問などあればぜひコメントをよせてください。

会話、計算論的思考、相談相手としてのログ、感情の整理

今日は久しぶりに知り合いのエンジニアと話をした。よりしっかりと学ぶのにどのようにアプローチするかという話だった。

やはり骨太なものを学ぶのが大事だと思うという話をしたところで、『計算論的思考』を思い出した。これと、プログラムや情報理論を学ぶと良いと思う。

https://www.cs.columbia.edu/~wing/ct-japanese.pdf

─概念化のことであり,プログラミングではない.
コンピュータ科学というのはコンピュータをプログラムすることではない.コンピュータ科学者のように考えるということは,コンピュータをプログラムできるということ以上のものである.それは複数の抽象レベルで考えることを要求する.

─基礎的な技能であり,機械的なものではない.この基礎的な技能は,現代社会で活動するためにすべての人が知らねばならないものである.機械的というのはルーチンワークのことである.皮肉なことに,コンピュータが人間のように考えるという AI のグランドチャレンジをコンピュータ科学が解決するまでは,思考は機械的である.

─人間の思考法のことであり,コンピュータのそれではない.計算論的思考は人間の問題解決法であり,人間がコンピュータのように考えることを目指すものではない.コンピュータは単調で退屈であるが,人間は賢くて想像力豊かである.人間がコンピュータを刺激的なものにする.コンピュータという計算装置を持つことにより,我々は計算の時代以前には挑戦できなかったような問題を解くのに自らの叡智を使うことができ,新しいシステムを構築することができる.限界は我々の想像力だけである.

─数学的思考と工学的思考を組み合わせ,補完することである.コンピュータ科学は本質的に数学的思考の上に成立している.そのため,すべての科学同様,コンピュータ科学の形式的基礎は数学にある. コンピュータ科学は,実世界と相互作用するシステムを構築する場合,本質的に工学的思考の上に成立している.それらを司る計算装置の制約が,コンピュータ科学者に数学的だけではなく計算論的な思考を要求する.仮想世界を自由に構築できるため,物理世界の制約を超えたシステムの構成が可能である.

─概念であり,モノではない.我々が創造するものは単なるソフトウェアやハードウェアという,物理的にどこにでも存在し,いつでも触れることのできるモノではなく,問題に迫り解決するための計算論的な概念で,我々の日常生活を助け,他の人々とコミュニケーションをとり交流するためのものである;そして
─それは,すべての人にどこでも.計算論的思考は,人間の努力と一体化してしたときに現実となり,明示的に哲学する必要性は消えてしまう.

 

もう1つ話したのはアウトラインサービス。彼はRebuildfm聞いて、今Dynalistを使っているとのこと。

rebuild.fm

この回のゲストのhigeponさんが、作業記録=ログについて連載記事を掲載していて、面白かった。

gihyo.jp

相談相手としてのログ

ここまでは主に記録としてのログを取り上げてきた。だが筆者はログの一番大事な部分は「対話」だと考える。相談相手がいない状況を,ログを記録することを通して自分自身と相談しながら進んでいるのだ。自分にとってログをわかりやすく書こうと思う。自然とその事柄についてより深い理解が必要であることがわかる。自分が何をしようしているのか,どのような状態なのかを把握することになる。このように擬似的な客観性を持ちつつ自分自身と対話する。そのことが「作業を進める」助けになるのだ。

こういう形でログで支援しながら、WorkflowyでToDoの締め切りを入れたりして仕事を進めると良さそう。

 

これとは別に今日は気持ちの整理があまりできなくて、子どもに接するときにイライラしがちだったと思う。これは良くなかった。感情が揺れたときは短くても気持ちをちゃんとリセットしないといけない。気持ちをリセットするには何かを飲むとか、外に出て深呼吸するとかしてみた方が良いかも。後は睡眠時間をしっかりとる。