老害おっさんになりたくないから貪欲になろう
Twitterでオッサンについてのツイートを見かけて、堪えた。 もうすぐ不惑ですが大分惑いました。
なぜネガティブなオッサンは周囲や社会から無視され、やらかすのかなぁと。身近な例で言うとこんな感じかなと:
— 森のぐまさん (@uupaa) 2018年6月27日
"辛い辛い"と繰り返すだけで自ら改善しようとしない人には「自分でなんとかするしかないよ」とつい正論を言いたくなりますが、
他人から正論を言われて行動を改善できる人はごく稀で(続く
オッサンは助言を聞き入れず、変化を嫌い、不機嫌。つまり、ここ数日の自分でした。なんでこうなっちゃったんだろ。この数日感じてたこととしては、言い方が嫌、承認欲求が満たされてない、経験の多い自分の方が正しいに違いない、自分がこんな苦しいのに、そして眠い。
ツイート読んでここ数日の自分の言動が嫌になって、そのままオッサンになりたくないから、以下のように考えてみる。
まずは、あるべき論に凝り固まった考えをほぐすために、10人チャレンジ。
「相手はこうするべきだ、何で分からないのか」と思った時に、自分含めてパッと思いつく身近な10人がみんながみんな、そうするだろうか考えてみる。この時点でむしろ自分の方がけっこう鈍感で、気遣いできないよなぁと思えてきた。それに、身近な人も普通あんまり気遣いしないな。これで応急処置完了。
次に、直接のきっかけを脇に置いて、感情の高ぶりを分析して、解消策を考える。たとえば、不公平だ、自分が正しいはずだなどと感じるのはなぜか。不公平というのは、自分が何かを我慢していて、他の人も我慢すべきだという感情から来る。我慢をしているなら、それをやめることをまず考える。仕事なら自分が選んだ結果だし、嫌ならやめることも出来る。自分が正しいはずというのは自分の方が物事をよく分かっているという思いから来る。これは、自分の経験がすべてのケースを説明できるという偏った思い込みに起因する。これで根治できるのではないか。
思うに、老害おっさんになるのは、経験が一定の思考パターンを強化してきた結果で、おっさんには残された選択肢が少なく代替案をとるのがなかなか難しく感じる。さらに、おっさんは若さもなく、自分の限界も見えてきている。だから、経験に培われた、というか経験から学習した知恵っぽいものによりがちだ。
Photo by Andre Benz on Unsplash
でもそうやって、考えを強化するばかりなのはもったいないし、新しい世界が開けるかもと思うとちょっと欲が出てくる。色んなものや人の考えに触れたいし、楽しく過ごしたい。だから色々と貪欲になってみようと思う。
あ、だから、旅行っていいのかも。自分が部外者で知らないことばかり、学習者としての自分を強く意識して、考え方を再整理する。それが旅行の一番の効能なのじゃないか。この写真の色合いは観光客だからこそ撮れる気がする。なんか日本人の撮る日本の写真ではない。見慣れた景色がこんな感じで違って見えてくるのが脱老害おっさんの第一歩で、楽しい生活への第一歩なのかも。