かざいむ日誌

IT関係で知ったことなどを記事としてあげていきます。内容に不備や質問などあればぜひコメントをよせてください。

冬休みだし、宿題を子どものものにしたい

この一連のツイート、分かっちゃいるけどやめられない感じで、これまでも何度かやってみようと思ったけど、毎日の宿題に追われてなかなかうまくいかなかった。それに、これをやるには奥さんとしっかり話し合いをしないといけないんだけどそれもなかなか難しい。

子どもの学校が冬休みに入って奥さんも多少時間の余裕ができたのと宿題の締め切りがその日中じゃないので少しゆとりがあるから、宿題を自分事として取り組めるようにしたい。

これをちょっとやってみたい。ただ、ちょっと気になるのは、慣れていないものは取り組むのが億劫なこと。やることがはっきりしていればいいけど感想文とか多分ちょっと面倒だと思う。本を読むこと自体はたぶん好きだから、文章を書くというのが何をするのかはっきりしなくて嫌なんだと思う。ドリルだとこの問題やればいいってのが分かるけど感想文はそれがない。

以前、縄跳びを練習したときは、最初本当に子どもは嫌がって、自己肯定感最低な感じだった。それで、縄跳びの練習を小さなステップにして、最初は大波小波、次に長縄飛び、次は片手飛び、最後に普通の縄跳びと進めていった。それで1週間程度で縄跳びは飛べるようになった。

子どもに宿題するかと聞いた時に真っ先にドリルやると言っていたので、多分僕と同じようにタスクを分けるのが苦手だと思う。タスクに分ければできるっていうのを分かるようにしてそこから先は彼に任せるべきか。

感想文を書くのを作業にしてそれが終わればできるという形にしたい。

郷に入っては郷に従え

ちょっと最近仕事のやり方で、以前と違っていて納得いってなかったけど、そもそも業界が違うんだから、やり方が違って当たり前だった。自分の理屈を通したいなら自分の分野に戻ってやるべきだし、そうじゃなければ自分が老害だということを自覚して相手の土俵に乗っかるしかない。

異端者は体制に過剰適応し、逆に体制の王道出身こそが逸脱できるというのを聞いた覚えがある。まずは体制側の論理を把握したうえで体制側の論理に基づいて代案を出していくべきなんだと思う。

体制を逸脱者が変えていくというのはたぶんあくまで理想でしかなくて、体制は体制の側からしか変えられない、のかもしれない。この問題を解く手がかりをパウロフレイレが持っているかもしれない。

公共セクターの論理を学ぶためにNext Generation Government も読むと良さそう。

相手のためになる国際協力は教育とビジネスにならない分野だと思う

note.com

 

この投稿では被災地に無料の散髪サービスを提供したら被災地の床屋の仕事を奪ってしまったという話から、復興には経済的な循環が必要とのこと。このエントリを読んで、途上国への古着支援を思い出した。確かに善意の寄付が現地の産業を阻害することはあるだろう。

逆に、教育分野や商業ベースに乗らないことこそ援助が役に立つのかもしれないと思った。教育は社会の基盤だけど、お金のない個人が取り組むものではない。そうすると、社会的起業というのは何だろう。商業ベースに乗るが、より長期的な投資が必要とか、利益が少ないのかもしれない。

住所の構造メモ

www.nikkei.com

住所は2種類ある。住居表示法という法律による住居表示。もう1つは不動産登記簿で土地ごとにつく番号(地番)がもとになっている。台帳間の紐づけがされていない。登記と実際の土地が一致しない。

blog.kenall.jp

住所は都道府県、市区町村、町域の3つから構成される。この町域が複雑。

個人と社会をつなぐことはできるのか

最近この記事を読んでとても面白かったとともに、これまで整理できていなかった感情が整理できたように感じたのでちょっとここに書く。

bungeishunju.com

記事を雑にまとめると、最近は自責思考が広く普及する一方で、制度の問題などは注目されなくなっている。ウーバーイーツとかのギグワーカーが社会保障からもれるのもその一例。

ラオスでは、公的援助が弱いが、その代わりに仏教徒喜捨による援助があり、孤児や大学に行けない子女は出家することで、檀家などから支援を受けることができる。確かにこれは何もないよりまだいいけど、それでも釈然としないものがあった。最近になってその理由が分かった。それは仏教が多数派のラオスでは、仏教の喜捨による援助の仕組みは他の宗教の教徒の恩恵にあずかれない。

また、公的援助によらない援助する側の恣意性に委ねられるので、良い人以外は救われにくいと思う。

 

そんな時にパウロフレイレについてのツイートが流れてきた。かれは既存の教育を銀行型教育と呼んで、教育と社会を結びつける活動をしたらしい。

親としては子どもに社会に飲み込まれることなく、生き抜いてもらいたいし、子どもの手本でありたい。どうやったら良いのか。

理解することへの取り組みについて

牛尾さんのこの記事はとても面白かった。

物事ができるようになるにはまずは徹底して理解することが大事で、そこにしっかり時間を使う必要があるとのこと。これまで自分は感覚的に物事をやってきたという自覚があったので、向き合わなくてはならないと思わされる記事だった。

note.com

この記事でギターの上達法についても触れられていた。ちょうど現在、息子が縄跳びに苦戦していて、早く何回も飛べるようになりたいと焦っている。牛尾さんが言うようにゆっくりとできるようになってからスピードを上げるという方法は良いかもしれない。ゆっくり飛んで、体のそれぞれの動きを動画で確認すると前進しそうな気がする。

 

また、仕事全般でいうと、これまではタスクをこなす仕事になりがちだった。これだと軸がはっきりしないので、後でしっかりと説明できる仕事にならなかったり、場当たり的になりそう。今の仕事はゴールと活動の繋がりが見えづらいプロジェクトなので、ゴールと活動とそのつながりをどうとらえるかを適宜文書にして明示化したい。

 

ITについて理解を深める場合は、何らかのまとまった文章がすでにあることが多く、それを追っていくことで理解しているかどうかが分かるが、現実の現象を相手にする場合はメモを取って現象を文章にしていく必要がある。そこで、記録が必要となる。フミコフミオさんのこの投稿もとても面白かった。記録と創造という分け方がとても良かった。良い記録をつけていくことで現実がはっきりしていく。記録というのは事実なのだと思う。

 

delete-all.hatenablog.com

 

事実を聞くのに対話型ファシリテーションという方法がある。これは、平たくいうとある物事について理解をするために質問をする。その時に、「なぜ」と聞かず、「いつ」、「だれが」、「何をきっかけに」など、事実を尋ねる質問をする。これはおそらく自分の中で理解を深める時も役に立つと思う。

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最後に、このような情報をカードとして情報整理していき、理解を深める。これはツェッテルカステンという方法らしい。このやり方は以前なぞる程度にやったことがあるが、カードを作るのではなく、それを構造化、リンクを貼るという取り組みがとても重要なのだと思う。コンサルティングの本でも、全部を教えるのではなく、一部のみ教えることで体系的に理解できるというのを読んだことがある。自分の中で体系化するというのがポイントなのだと思う。

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