個人と社会をつなぐことはできるのか
最近この記事を読んでとても面白かったとともに、これまで整理できていなかった感情が整理できたように感じたのでちょっとここに書く。
記事を雑にまとめると、最近は自責思考が広く普及する一方で、制度の問題などは注目されなくなっている。ウーバーイーツとかのギグワーカーが社会保障からもれるのもその一例。
ラオスでは、公的援助が弱いが、その代わりに仏教徒の喜捨による援助があり、孤児や大学に行けない子女は出家することで、檀家などから支援を受けることができる。確かにこれは何もないよりまだいいけど、それでも釈然としないものがあった。最近になってその理由が分かった。それは仏教が多数派のラオスでは、仏教の喜捨による援助の仕組みは他の宗教の教徒の恩恵にあずかれない。
また、公的援助によらない援助する側の恣意性に委ねられるので、良い人以外は救われにくいと思う。
そんな時にパウロ・フレイレについてのツイートが流れてきた。かれは既存の教育を銀行型教育と呼んで、教育と社会を結びつける活動をしたらしい。
パウロ・フレイレ生誕100年。
— KOHEI@東京🇯🇵 (@koheikkk11) 2021年9月29日
1960年代から、教師は指示を出し生徒は黙々と学ぶ”伝統的な教育”を批判し、教育は真に民主的で参加型であるべしとした先駆け的存在。
彼の本を初めて読んだときはすでに教員だった。理想と現実の狭間で揺れつつもそれでも彼の思想は刺激的だ。https://t.co/Vwyh39V56x
親としては子どもに社会に飲み込まれることなく、生き抜いてもらいたいし、子どもの手本でありたい。どうやったら良いのか。